2012年02月03日

「幸せの条件」

幸せに生きるには条件が二つある、と河合隼雄先生*は仰っています。一つは、夢と希望を持てるかどうか。もう一つは、私たちを超える仏さまや神さまに繋がっているかどうかです。医療人がどんなに頑張っても、最終的に患者さんたちは旅立っていかれます。けれども、何か大いなるものに包まれている、仏さまや神さまに支えられている、という思いを強めていくと、死というものが逆にこちらに力を与えてくれるように思います。旅立っていく患者さんも仏さまであって、私たちをしっかりと導いて下さる方である、という「本願」が強まっていくようです。私たちは、人生において「もう駄目だ」というような窮地に追い込まれることが度々あります。しかし、人生の窮地において湧き出てくる智慧というのは、私たちを超えたところから起こってくるものではないでしょうか。その智慧は、仏さまや神さまが、どうやってそこを生き抜くかをメッセージとして示して下さっているものでもあるようです。仏教、キリスト教、イスラム教等々、宗教は色々ありますが、本当に自分自身の拠り処となるような、良い意味での宗教心を育んでいくことが大切であると覚信します。実り多き一年でありますように。

理事長 安松聖高


*日本におけるユング心理学の第一人者。
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posted by 福岡聖恵病院院長 at 10:43 | 日記

2011年07月14日

東日本大震災

東日本大震災から四ヶ月が経ちます。生活は普段通りであるにも関わらず、随分と密度の高い時間を過ごしたような気がします。
三月十一日以前と以降とに分けて、日本の歴史はこれから語り継がれるであろうと言われています。戦前、戦後ならざる、災前、災後と表現している方もおられます。何十万人という方が、家族も、家も、財産も、そして故郷をも根こそぎなくされました。喪失体験という言葉では到底表現しきれない、悲痛極まりない心境に陥り、絶望に打ちのめされておられることと思います。皆さんもテレビや新聞を通じて本当に心を痛めておられることでしょう。福岡県医師会の要請に基づき、当院からも福島県いわき市へ職員四名を派遣する予定でしたが(先方の都合により中止となりました)、被災地の方々のもとに馳せ参じたいという方も多いのではないでしょうか。
先日、日本自動車工業協会の会長で、日産の元CEOの方がテレビに出演しておられました。自動車業界もかつてないほどの窮地に立たされていますが、また、かつてないほどに、一致団結の機運が盛り上がっているそうです。被災前までは、トヨタだとか日産だとか三菱だとかいう線引きがあり、皆が競争相手という関係だったのが、今では、その壁が取り払われて、皆災いを被った者どうしとして頑張ろうという力が漲ってきているとのことです。自動車業界はこの最たる難局を乗り越えることができると信じている、というお話でした。
日本が繋がり始めたのでしょう。それまではてんでんばらばらだった日本という家族が繋がり始めて、家族の成員一人一人がそれぞれの個性を生かし、分を果たせるようになりつつあるのだと思います。繋がるということは分かれることであるという、矛盾する言い方ですが(西田哲学ではこれを「逆対応」と表現します)、繋がれば繋がるほど、そして、信頼関係が増せば増すほどに、一人一人の分や役割が生きてきます。分や役割を果たすことができるということは、逆に絆が強まりゆくことであると思います。そこから本来の力が生じてきます。日本には、能力も、技術も、志も、魂もあります。禍転じて福となす、マイナス札をプラス札に転ずる転換力こそは、日本のお家芸であろうと思います。
復興の道は、本当に茨の道でしょう。それを踏破するには、十年、ひょっとしたら二十年の歳月を要するかもしれません。しかし、日本は必ずやこの国難を乗り越えていくと確信しています。私たちは、自らの分を果たすべく、目の前の課題一つ一つにしっかりと取り組み、必ず甦るという信念をもって、臨んでまいりたいと存じます。
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posted by 福岡聖恵病院院長 at 10:01 | 日記

相手を責める前に

これは、私が敬愛してやまない、中山延二先生*のなさっていたお話です。
ときは江戸時代の初期、盤珪(ばんけい)禅師という和尚さんが、江戸の橋のたもとで夜毎に座禅の修行をしていました。そこへ、一人の立派な武士が馬の稽古にやって来ました。ところが、馬は武士の思うように動かず、武士はしきりに馬を責めたてます。見かねた盤珪(ばんけい)禅師は、「何の様だ、何の様だ」と繰り返し怒鳴りました。ようやくそれに気が付いた武士は、馬を降りて禅師のもとに近づきます。言い分によっては、この乞食坊主、一刀両断に斬り付けるぞ、と腹の中で思いつつ。武士は言います。「さっきから禅師は拙者のことを叱られているようですが、お教え頂けることがあれば、その教えを承りましょう」と。すると、禅師が静かに答えました。「馬が自分の思い通りに動かないからといって、馬を責めるとは何と愚かなことか。なぜ自分を責めないのか。自分を正しくするということが、馬を正しくするということになるのだ」と。「あなたの乱れた心でもって、一生懸命、馬を自分の思うように動かそうと責めたてても、かえって馬は思うように動かない。まず正すべきは、あなたの乱れたその心じゃないか。馬を正しうするには、自分の心を正しうするにしかず」と。そこで、武士は禅師の教えに感じ入り、これは自分が悪かった、と心から態度を改め、今度は上手く馬を乗り回すことができました。
相手を責めるのは愚かである、なぜその前に自分を責めないのか。これは、人間が最も心して聞かねばならない声だ、と中山延二先生は仰います。相手を責める前にまず自分を責めることを、西田哲学では「自己否定」と言います。しかし、私たちはなかなか自分自身を責めることはしませんよね。何か悪いことがあると、つい相手のせいにしてしまいがちです。とはいえ、今、心無いことを言われたり、嘲笑されたり、非難されたりして、傷ついている人たちが非常に増えており、その影響で、私の外来にも沢山そういう患者さんがお見えになります。そのような心無いことに対して毅然とした態度を取るには、いきなり自己肯定からでは駄目で、まず自分というものを反省し、その上で毅然と臨むことが大事である、と中山延二先生は仰るのです。本当に勇気が湧いてくる源は自己否定からであり、自己否定を介さない自己肯定などというものは有り得ない、というのが、仏教の根本であり、世の中の本来の論理であると思います。
福岡聖恵病院の「聖」は、自己の非を知り給うが故に「ひじり」と言い、自己否定の精神を表しています。それで、「聖恵」というのは、自己否定の精神が深まれば深まるほどに、本来の人生が恵まれゆく、という意味に解釈しています。私自身も十分には実行できていませんが、自己の非を知るという「聖」の精神を常に念頭に置いていたいと思います。

* 中山延二先生は、仏教哲学の泰斗であり、西田哲学の優れた研究者。
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posted by 福岡聖恵病院院長 at 09:59 | 日記

2010年09月17日

「ほぉー」の力

 私が子どもだった頃、寺には人生相談に訪れる方が絶えませんでした。住職を務める祖父は、いつも相談事を聞きながら、「ほぉー」「ほぉー」と相づちを打つばかりで、取り立てて特別なアドバイスもしていませんでした。時に居眠りさえしながら「ほぉー」と声を発するだけなのに、不思議なことに、相談に訪れた方々はひとしきり話し終えると、すっきりした表情で帰っていかれました。
 よくよく耳を澄ませてみると、祖父の「ほぉー」には多彩なバージョンがあり、同じ「ほぉー」のようでもかなりニュアンスを使い分けているようでした。それから数十年後、住職や精神科医を努めることになる私には、その魔法の「ほぉー」を倣いたいものだと、懐かしく思い出されます。さらに、私の師匠(増井武士先生)の師匠たる神田橋條治先生が「ほぉー」について深く考察し自ら実践されていることを知り、祖父の「ほぉー」はまさに精神療法の理にかなったものであり、達人の域に達していたとの観を深めたものでした。
 当時、祖父はいつも家と寺の中心にどんと座っていて、確固たる居場所を持っていました。その大きな存在感によって、周りの皆がおのずと動かされていたようです。今思えば、祖父は悲しみの置き場所づくりの名人でした。その場所づくりの一つの工夫が「ほぉー」の相づちでした。さらに、「ほぉー」の背後には、人生の荒波を乗り越えてきた、血の通った智慧や、南無阿弥陀仏で練られた仏智が働いていたように思います。
 現代は、このような智慧がなかなか発露しにくい時代になってきました。心理学者ミルトン・エリクソンは、本当の智慧は、死を射程に入れてこそ、その真価が発揮される、といった旨のことを述べていますが、二元論や分別知(分析知)ばかりがまかり通る世の中にあって、このような本来の智慧がいきづかなくなりつつあることが、閉塞感を強める要因になっているように思います。生死一如たる無分別智に根ざす光明(仏智)によって、窒息間に満ちた世の中が照らされ、絆しの糸が解かれていくことを願っています。

人の世の 浮き悲しみの 谷底を 閑かに照らす 弥陀の月影
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posted by 福岡聖恵病院院長 at 21:47 | 日記

2010年06月03日

温故知新の精神

 先日の西日本新聞に、「過去を見つめ直し、未来を創る」というテーマで歴史学者の二人が対談されていました。それによると、不況、不安の時代は、皆まじめになるそうです。上げ潮の時代にはビジネス本やハウツー本がよく読まれますが、不況、不安の時代になると、どんな本が読まれるか。歴史書だそうです。しかも、きちっとまじめに論じた、全体を俯瞰した、見通しの良いような本がよく売れるそうです。つまり、未来に対して不安が強ければ強いほど、過去に帰って行くのです。これは、人間の性、人間の本来持っている智慧なのかもしれませんね。
 さて、日本は、西洋社会に比べて5倍のスピードで平均寿命を伸ばしてきました。既に日本の高齢化率は21%を越えています。「老老介護」という言葉が使われて久しいですが、これは今ではもう当たり前のことになりました。最近では「認認介護」、介護する側も介護される側も認知症というケースが増えてきています。日本では、いまだかつて経験したことのないような、未曾有の少子化、超高齢化の社会がこれから長く続きます。
 私たちの気がかりの中には、個々人の仕事やプライベートな事柄もありますが、それだけでなく、経済も政治も、社会が大混乱を来たしつつあるという、時代苦、時代不安が大きな割合で入り込み、窒息感や閉塞感がますます強まっているように思います。そこで、苦しみから逃げると、苦しみは送り狼のごとく襲ってきます。それならば、苦しみを受けて立つと、覚悟を新たにしています。この状況をどう切り抜けていったらいいのか、知恵を振り絞っています。
 「過去を見つめ直し、未来を創る」ということを、優れた精神療法家である神田橋條知先生は、「未来を志向しつつ、前向きの姿勢で過去を振り返った時に、過去は良いヒントになる」と解釈されています。「温故知新」と言いますね。古きをたずねて新しきを知る。そうではなくて、新しきを見つめ、模索しつつ、古きをたずねる時に、過去は良いヒントになるという解釈です。温故知新の精神をもって、医療・介護の原点であるおもてなしの心を心がけつつ、精進してまいりたいと思います。
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posted by 福岡聖恵病院院長 at 10:44 | 日記